嵐山      嵯峨野    付近の地図案内           TOPへ戻る
 
 右は小倉山(295m)で東麓に嵯峨野、やや北寄りに化野が位置し、小倉山山麓は平安時代に貴族の別荘地となった。藤原定家(ふじわらのていか、さだいえ、1162〜1241)は小倉山中腹の時雨亭で「小倉百人一首」を撰集(13世紀前半頃)した。相対して左は嵐山で大悲閣 千光寺が見える。一般に渡月橋周辺は嵐山と呼ばれる。                              
 
 桂川に架かる渡月橋は京都府道29号線の一部。道昌(どうしょう、俗称は秦、798〜875)が架橋し、その後、現在の位置に角倉了以(すみのくら りょうい、1554〜1614)が架け直したとされる。                   
 
  渡月橋        小倉山展望所から(標高220m付近、小倉山を右方向へ登る)   左向こうに京都タワ−
 
 化野念仏寺  西院の河原              地図案内
   
 化野(あだしの)は平安時代から死者を野ざらしにした風葬の地で、東山の鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野(れんだいの)と並ぶ京都の三大風葬地。当時の庶民は火葬されず野ざらしにされた。811年空海が五智山如来寺を建立して野ざらしの遺骸を埋葬し、鎌倉時代に法然が念仏道場を開いたのが念仏寺になったされる。本堂は1712年に再建されたもの。1903年頃から河原に散らばっていた8000体の無縁仏の石仏や石塔を掘り起こして境内に集めた。8月23,24日に千灯供養が行われ無縁仏に灯が供えられる。