旧・国鉄北陸本線廃線跡    関西と北陸を行き交う幾千万もの人が通った   TOPへ戻る
 1962年(昭和37年)6月に当時としては日本最長の北陸トンネル(13.87km)が開通するまで国鉄北陸本線は現在の県道207号線(敦賀市〜北陸自動車道・杉津PAの下〜南越前町の今庄まで)を通っていた。今も11カ所(当時12カ所)の隧道(トンネル)、駅の跡や大きなカーブを描きながら続くゆるやかな傾斜の道路が残り面影を残している。当時は蒸気機関車に引かれて25/1000に達する急勾配の単線鉄路を登り、煙に巻かれながらトンネルを抜けると眼下には突然、水島がコバルトブルーの敦賀湾に浮かぶ風景が広がった。大正天皇がお召し列車の発車を遅らせて絶景に見入ったという逸話が残る。今も北陸自動車道の杉津PAからその美しい眺めを見ることが出来る。敦賀・今庄間は木ノ芽峠(628m)のふもとを頂点にした急勾配を持つ単線の難所で輸送力のネックとして立ち塞がっていた。
 1963年(昭和38年)の豪雪時には今庄で1時間に70cmの積雪を記録する豪雪地帯でもあった。 
   
 SLが行き交った跡なので、どこまでもなだらかな勾配が続く。サイクリングには最適。
大桐駅跡に立つ今庄町の記念碑。現在はこの大桐駅跡の約4km今庄寄りにJR南今庄駅が設けられている。
     
『大桐駅の経歴
 「明治41年3月1日北陸線の難所と言われ、山中トンネルを頂点とした25/1000の勾配を有し、列車運転の緩和とスイッチバックの拠点として大桐信号場が開設された。その後、地元の要望に応え同年6月1日停車場に昇格し、旅客、貨物の取扱営業を開始した。
当時、旅客7本、貨物6本、計13往復の列車が運行された。昭和37年6月9日、北陸本線複線電化の近代化により、新線開業と共に廃止となる。その間、54年の永きに渡り、生活物資の輸送等、住民のシンボルとして大きい役割を果たした。 昭和59年12月吉日 今庄町」
     (現地の記念碑による)
  大桐駅に寄せた地域住民の期待や恩恵は大きかった。

柳ケ瀬トンネル(地図案内)    上は現在の北陸自動車道。
 「1884年完成当時日本最長(1352m)で、黎明期の技術進歩に大きく貢献し、
今も使用中では2番目に古いトンネルで、現在は道路トンネルとして活躍中です。
  当時、神戸、東京間の鉄道が部分開通している中、北陸米を大阪の市場に運搬することを主目的に、敦賀線(敦賀〜長浜)は建設されました。それまでの北陸米の運搬は舟運(和船)のみで、敦賀・新潟がその港です。
 航路は主に「新潟・敦賀〜下関経由〜大阪」「敦賀(金ヶ崎)〜琵琶湖〜淀川水運」のみで、
90日〜半年の所要日数が3日に短縮されました。」    
        (現地記念碑による)
 北陸自動車道・杉津(すいづ)PAの下からは県道207号線と分かれて、大きなカーブを描くゆるやかな傾斜の廃線跡は葉原(手前の方)に向かって伸びる。この舗装された道路が旧・北陸本線跡。 この区間で2番に長かった葉原隧道(974m)。トンネルは全て列車1両分の幅しかなく一車線片側通行となっている。
曲谷隧道付近の眼下に広がるコバルトブルーの敦賀湾は絶景である。中央の島は北陸のハワイと称される水島無人島であるが船で渡る事ができ、色とりどりのビーチパラソルなどが点々と見える。旧・北陸本線は絶景あり、豪雪ありで、今もSLが走っていれば、それらを背景にSLが走る勇壮な姿を撮ろうと多くの人が集まって来たことであろう。 第1観音寺隧道。当時、12カ所あったトンネルは今も11カ所が残る
   
 伊良谷隧道 第2観音寺隧道 
   
 3つのトンネルが続くこの付近は列車がトンネルを出るたびに車窓から青く広がる敦賀湾の絶景が飛び込んできた。
   
  上は特急「サンダ−バ−ド」が現在の北陸本線を通過していく。南今庄駅プラットフォ−ムの横は旧・北陸本線跡に敷設された県道207号線。 
 
 下は1964年(昭和39年)から2011年(平成23年)3月11日まで半世紀にわたって関西と北陸を結んだ特急「雷鳥」。ヘッドマ−クには立山に住む雷鳥が描かれていた。