大箕山管山寺     学問の神様 菅原道真が教える わび さび 幽玄美の世界    地図案内    TOPへ戻る
 
菅原道真お手植えケヤキ、44才の時(889年)にお手植えしたという。植樹者と年号が分かる巨木や名木は極めて珍しい。  
  
 
 2017年9月に倒れる前のケヤキ (以上の3枚は滋賀県長浜観光協会提供)       蟲師 や 忍たま乱太郎 の撮影地にもなった。 
  大箕山管山寺は第46代・孝謙天皇(第48代・称徳天皇と同一、718〜770、父は聖武天皇、母は光明皇后)の勅命を受けた初代・照壇上人によって764年(天平宝字8年)龍頭山大箕寺として建立された。孝謙天皇は父の影響を受けて仏教に深く帰依し、在位中に東大寺大仏の開眼供養が営まれ(752年)、翌年には鑑真が来日した。菅原道真(845〜903)は余呉湖付近の川並村に生まれ6才から11才まで当寺で勉学したと伝わり、新たな繁栄をもたらしたので管公の一字を受けて大箕山管山寺に改められたという。

 同じ長浜市内の竹生島宝厳寺は聖武天皇の勅命を受けて当時民衆の熱狂的な支持を得ていた行基が開創したとされ、木ノ本地蔵も聖武天皇の勅命を受けた薬師寺の祚蓮(それん)上人が開山したと伝わる。

 山門脇には管公44才の時(890年)にお手植えされたと伝わる樹齢1100年余の2本のケヤキが威容を誇っていたが、
右のケヤキが2017年9月3日頃に倒れた。左のケヤキや山門にも参道にも被害が及ばない所へ倒れている。比較的強風が直接当たりにくく巨樹が生きやすい山あいの環境にあり、境内には何本かの巨木が見られる。
古色蒼然の趣き
 
 この世は何が常なるか。形ある物はいつか滅びる。ケヤキの倒木には崩れゆく中にも美しさがあり思わず さび の世界に引き込まれて時間が経つのを忘れる。 
 
 現地案内板
 
 
 
 
 鎌倉中期の記銘がある銅鐘は1926年(大正15年、昭和元年)国重要文化財に指定され別に保管されている。
 
 
境内の道に雑草は見られずきれいに手入れされている。 
 
1692年(元禄5年)建立の本堂。 その10年後の元禄15年に赤穂浪士の吉良邸討ち入りがあった。
 
 
 
 
 
年月を重ねた管山寺縁者の墓石群。 
 
 ウッディバル余呉から車で林道を走って山上の駐車場から稜線を歩き、ここ(標高約450m)から標高差100m余20分弱、山道を下り管山寺に至る(標高約350m)ので帰りはこの坂を喘ぎながら登る事になる。

 現在、管山寺へは4ル−トあるが何れも爽やかな季節にブナで覆われた森林地帯を行くだけでもそれなりのエネルギ−を消費する山歩きコ−ス。建築当時、資材は大見(標高150m余)から運び上げたというが建立には多くの苦難があったと思われる。しかも、当地は近くにスキ−場がある豪雪地帯。大見ル−トに木馬道を設けるなどの整備をすれば訪れる人は多いと思う。
 
 
 
正面のアカガシは長浜市の樹木標識に樹高30m幹周囲約10mと書かれているが幹周囲は5mもなさそうである。右は幹周4mのモミ。 
参考になるサイト(外部)    コ−スマップ     滋賀・琵琶湖観光情報  管山寺の森友の会