高野山   壇上伽藍  TOPへ戻る
   
大門(だいもん)は高野山の総門 西塔(さいとう) 
 壇上伽藍にひときわ大きくそびえる根本大塔(こんぽんだいとう)は真言密教を象徴する建造物で日本で最初の多宝塔。弘法大師と弟子の真然大徳(しんぜんだいとく)の二代が尽力して816年から887年頃に完成したとされる。  胎蔵界の大日如来像と金剛界の四仏である阿閦像(あしゅく)、宝生像(ほうしょう)、無量寿像(むりょうじゅ)、不空成就像(ふくうじょうじゅ)が安置され、16本の柱には堂本印象が十六大菩薩を揮毫し、四隅の壁に密教を深めた八祖が描かれている。幾度も火災に遭ったので1937年(昭和52年)に再建された。
 壇上伽藍は弘法大師が高野山の中心地として最初に整備した場所で幾つもの伽藍が建立された。中門をくぐり抜けると根本大塔を中心にして左右に西塔、東塔、更に金堂、大塔の鐘、六角経蔵、御社(みやしろ)、不動堂などの伽藍が配置された。唐から密教の聖地を占うために投げた三鈷杵(さんこしょ)が架かっていたという三鈷の松(さんこのまつ)もある。
   
 1872年明治政府によって女人禁制が解かれるまで女性は高野山内に立ち入ることが出来なかったので女性のための参籠所・ 女人堂(にょにんどう)に寝泊まりして、寺院を取り巻く峰々に開かれた高野山女人道(こうやさんみょにんみち)を巡りながら奥の院や高野山の堂塔伽藍を拝んだ。高野七口の一つである熊野本宮大社から小辺路(こへち)を通り登って来た参拝者はこの轆轤峠(ろくろとうげ)で高野山内を目にした。轆轤峠には大滝口女人堂が設けられていた。
相の浦口女人道跡付近からの眺望