女人高野 静寂と美と森厳 真言宗室生寺派室生寺次のペ−ジへ   地図案内     奈良県宇陀市室生78    TOPへ戻る
   
 室生寺(むろうじ)は680年天武天皇の勅命を受けた役行者(えんのぎょうじゃ、役小角、役優婆塞、生没年不明)が創建したとも、或いは桓武天皇が皇太子だった時に病を得たが室生山での祈祷によって快癒した縁で勅命により興福寺の賢m(けんきょう)が弟子・修圓(しゅうえん)と共に建立したともいう。その後、弘法大師(空海、774〜835)によって 真言宗の道場として整備が進められた。 
 国宝の五重塔は平安時代初期(800年頃)の建立で室生寺最古の建物、五重塔としては法隆寺に次ぐ古さとされる。塔身は上に行く程細くなり5層は1層(初層)の6割幅になるが、屋根の大きさは余り変わらない。1200年前の建物なのに近代建築の様な斬新なデザインで建立されていて、卓越した建築デザイナ−や大工が関わった事が窺える。朱塗りの柱と白壁が対照する美しさは周囲の静寂と融合して印象的。静寂と美と森厳のハ−モニ−に心が洗われる。
  長い歴史を持つ寺院の多くが過去は女人禁制だったが、人は皆平等という弘法大師の教えを基に女性救済を念じた室生寺は古くから慈悲深く女性の入山を受け入れて来た。今も参拝者の7割は女性だという。
 
五重塔 (国宝、平安時代初期)
 
  弥勒堂(重要文化財、鎌倉時代) 弥勒菩薩像(重文)が安置されている。  
   
本堂(灌頂堂、国宝、1308年建立)  室生寺の本尊・如意輪観音菩薩像が安置され、観心寺(大阪府)、神咒寺(かんのうじ、兵庫県)の如意輪観音と共に日本三如意輪。新緑の春から錦秋の秋へ装いが替わる 。 
   
   
 
   
〜〜春に出会えりゃ それでいい 冬に別れりゃ それもいい  ここは室生寺鎧坂〜〜  
   
 新緑の春から錦秋の秋へ装いを替えた本堂 
   
   
 
 桂昌院塔   桂昌院(けいしょういん、1627〜1705)は京都の八百屋仁左衛門の次女として生まれた。通称はお玉の方。二条家の家司(けいし)・本庄宗正の養女になり徳川家光の側室となって綱吉を生み、家光没後は桂昌院と称した。仏教に深く帰依し綱吉に生類憐れみの令を出させたとされる。
   
本坊