三峰山(樹氷と中央構造線地図案内            
 三峰山(みうねやま、1235M)も高見山も
樹氷の美しさで知られるが三峰山にはもう一つの魅力がある。三峰山中腹で中央構造線の大規模な露頭が見られ、国内外の学者が注目し遠方からの研究者も足を運ぶ。
 中央構造線の歴史は1億4000万年前(恐竜がいた中生代白亜紀)から始まる。当時の日本列島はユ-ラシア大陸の東の縁にあり、そこへ海洋プレ-トがぶつかり、プレ-トの動きから生じた力が働き大陸東縁に横ずれ断層が形成された。約8000万年前に領家変成帯(りょうげ、写真左側,)や三波川変成帯(さんばがわ、写真右側、黒色片岩)の岩石ができ、その後、大陸の隆起によって中央構造線が地表に現れた。中央構造線は九州から佐田岬を経て九州北部、紀伊半島を横断して伊勢湾を通り天竜川付近から北上して長野県・諏訪湖付近を通り関東まで1000kmも伸びている。大規模な断層は構造線と言われる。
 複雑な生成過程を持つ日本列島には多くの活断層があるので、過去の大きな地震がどの断層で起こったかは研究者によっても判断が分かれる。中央構造線付近では、1596年9月1日の慶長伊予地震(M7、震源地は愛媛)、その3日後の1596年9月4日に慶長豊後地震(M7クラス、大分)、その1日後の1596年9月5日開眼前の方広寺大仏が倒壊して伏見城天守が崩落し豊臣秀吉が恐怖したという慶長伏見地震(M7、京都)が起こった。
 近年は、2016年4月14日熊本地震(震度7、熊本)、同4月16日(震度7、熊本)、4月16日(震度6強、熊本阿蘇)があり付近では震度5の地震が頻発した。震度7が立て続けに2回というのは、日本の観測史上初とされる。
 
 地震は連動する。
安政東海地震(1854年12月23日、M8、駿河湾)の僅か32時間後に西に連動して安政南海地震(1854年12月24日、M8、紀伊半島・四国沖)、2日後に更に西に連動して豊予海峡地震(1854年12月26日、M7、豊後水道)更に安政江戸地震(1855年11月11日、M7、江戸直下)があった。
 又、日本最大級の巨大地震と記録される宝永地震(1707年10月23日、M9、東海道から南海道)の49日後には富士山が噴火(1707年11月23日)して江戸に大量の火山灰が降り注いだ。この時の宝永山(2693m)と宝永火口が今も残る

 
 
高見山山頂から見た三峰山。左向こうに曽爾の山々、右向こうに三峰山。  
   
 月出(つきで)露頭 
 
月出露頭 
   
 三峰山付近の中央構造線は活動していないので埋もれたり崩落もせず、貴重な露頭が観察できる。月出(つきで)露頭は一部崩落していて近づけないが下の粟野・田引(あわの・たびき)露頭は1億年前の地層に触れる事ができる。栗野・田引露頭 
  
栗野・田引露頭
  
栗野・田引露頭   三峰山の700m~800m付近を飯高北奥林道が走る。月出露頭から 飯高北奥林道(いいたかきたおくりんどう)を8.5km東に行くと栗野・田引露頭に出会う。飯高北奥林道は路面に落石が多く、月出付近は電波状況が悪い。スペアタイヤ等のパンク対策が必須。