高見山(関西のマッタ−ホルン)地図案内  三峰山(樹氷と中央構造線の露頭地図案内            
 高見山(たかみやま、1248m)は樹氷の山として人気があり、青空を背景に樹氷の純白の花が咲く。 麓を通る国道から2時間の登坂で樹氷の世界に踏み込める山は少ない。山頂からは曽爾の山々、同じく樹氷の山で知られる三峰山(みうねやま)、国見山や台高山地、近畿の最高峰・大峰山地の雄姿が遠望できる。

 高見山山頂の高角神社(たかすみじんじゃ)には鴨建耳津身命(かもたけみみつのみのみこと、武津之身命、鴨建角身命)が祀られている。鴨建耳津身命はカモ族(鴨、賀茂)の先祖で、神武天皇東征の折、一行が山中で迷ったおり大烏になって空を飛び道を見つけたので天皇から大いに賞賛された。天八咫烏(あめのやたからす)の称号を授けられ、成務天皇の時代に鴨県主(かもあがたぬし)に任じられたという。葵祭は江戸の元禄時代の頃までは賀茂祭と言われた。カモ族は、『山城国風土記』が伝えるように大和に至った後、一部は更に京都へ移り大いに栄えた。『秦氏とカモ氏』(中村修也、臨川書店)参照。古い歴史に思いを巡らせた。
 
     
 白銀に輝く高見山の樹氷(PHOTO BY RYUZO KITA)
     
     
頂上の高角神社    高見山登山口(高見峠)
   
 高見山登山口の案内板。   本居宣長(1730〜1801)は三重県松阪に生まれた。開業医だったが、荻生徂徠や契沖の古典研究に啓発され賀茂真淵に入門し、国学者として『古事記伝』を残すなど大きな足跡を残した。宣長は父母が吉野水分神社での子授け誓願の後に生まれたので吉野水分神社への思いがひときわ強く、13歳時(1742年)と43歳時(1772年)に吉野水分神社へ参拝している。
 白雲に峯はかくれて高見山見えぬもみちの色そゆかしき  この歌は1794年紀州藩主に国学を講じるため再び高見峠を越えた際に詠んだという。