吉水神社   桜の大展望と重要文化財の宝庫   地図案内  TOPへ戻る
 
  吉水神社(よしみずじんじゃ)は1300年程前に修験道(修験宗)の役行者が創立した僧坊(宿舎)の吉水院が起源で西行、後醍醐天皇、義経、秀吉、家康、正宗、芭蕉らの足跡が残る。
                
年月を心にかけし吉野山 花のさかりを今日みつるかな(太閤 秀吉)
  拝観料600円払うと撮影禁止とせずにあふれる程の歴史的文化財を惜し気もなく見せてもらえる。 吉水神社は重要文化財の宝庫。 奈良県 吉野町のサイト(外部)  南朝皇居  世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道
   
  日本の住宅の源流になった日本最古の書院造建築の傑作
玉骨はたとひ南山の苔に埋るとも 魂魄は常に北厥の天を望まんと思ふ(後醍醐天皇)
君が代は千年の春も吉野山 花にちぎりの限りあらじな(徳川家康)
秀吉らを魅了した「一目千本」   吉水神社境内からの大展望 右手向こうが上千本付近
み吉野の山辺に咲ける桜花 雪かとのみぞあやまたれける(紀友則)
吉野山こずえの花を見し日より 心は身にもそはずなりにき
(西行法師)
吉野山峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき(静御前)
紀友則)
   
太閤秀吉花見の本陣 義経・静御前惜別の舞台 向こうの門は北闕門(ほっけつもん)   弁慶の力釘(右手前下) 弁慶が追っ手の前で右下の岩に腕力で押し込んだ釘が残り、秀吉も力を得ようとこの釘に触れたという。 
 
後醍醐天皇玉座 (秀吉が修理したので桃山時代の特徴が見られる)  義経・静御前 潜居の間 弁慶思案の間(室町初期の改築)   頼朝朝に追われる身になった源義経が静御前(しずかごぜん)と数日過ごしたとされる。その後、義経は弁慶ら僅かの家来を連れて女人禁制の吉野深くに分け入り、一方の義経と別れた静御前はお供に金銀を奪われて吉野山中をさまよっている時に追っ手に捕らえられ鎌倉の頼朝の元へ送られた。
   
重要文化財が所狭しと溢れているが災害対策は万全なのか。 更なる地震や防火対策を希望する。 豊臣秀頼公寄進湯釜 
   
 弁慶七つ道具 一休和尚墨跡 本居宣長 吉野画賛
   
豊臣秀吉愛用の金屏風 桃山時代前期の狩野派代表的画人・狩野永徳の晩年の作  豊太閤 吉野之花見図(複製)
   
襖絵 「群鶴」 狩野山雪 秀吉花見の本陣 
   
役行者と従者の前鬼(義覺、ぎかく)と後鬼(義賢、ぎけん)  役行者が1300年前に吉水院(当時は僧坊、現在の吉水神社)を創建した。前鬼と後鬼は夫婦で、その末裔に当たる後鬼助(ごきじょ)氏らの活躍が知られている。 蝉丸の琵琶 (後醍醐天皇所持) これやこの 行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関