田中王塚古墳群彦主人王御陵か?   越前・若狭紀行
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  滋賀県高島郡は男大迹王(おおどのおおきみ、後の継体天皇)、その両親の彦主人王(ひこうしおう)と振姫(ふりひめ)が生活した三尾の別業(別荘)である。越の国から彦主人王に嫁いできた振姫はここで三つ子をもうけたが男大迹王が5歳の時に彦主人王は没した。振姫は遙か故郷を離れた近江の土地でどうして子を育て親に孝行できようかと嘆き、幼い子を連れて高向(たかむこ、福井県坂井郡丸岡町高田付近)に戻ったと日本書紀は伝えている。彦主人王の本慣(本拠地)としては3つの候補地があり、高島郡三尾、琵琶湖北東の息長、越前の三国の名が挙がっている。滋賀県では高島町から安曇川町にかけて彦主人王(ひこうしおう)や振姫(ふりひめ)に関わる遺跡が幾つも現存する。

 
彦主人王御陵(ひこうしおうごりょう、滋賀県安曇川町)は、周囲に大小40数基以上の陪塚(ばいちょう、ばいづか)を持つ田中王塚古墳群の中では最大規模のもので通称「王塚」とも「ウシ塚」とも言われる。1905年(明治38年)に宮内庁が彦主人王墓の参考地としてから宮内庁管轄下にあり、現地を訪れてみると古の世界に誘われるような雰囲気を持っているがこれとて王墓として何ら確証があるわけではない。築造は5世紀後半で直径58mの2段築成の帆立貝式古墳だが、もともとは円墳だったと推定される。
 
鴨稲荷山古墳(かもいなりやまこふん、滋賀県高島町)は近江の三尾氏の首長を葬ったとされているが、彦主人王の御陵とする見方も根強い。
 
胞衣塚(えなづか、滋賀県安曇川町)は三尾里集落の南にあり直径11.5m、高さ2.5mの円墳である。振姫が継体天皇を出産した時の胎盤とへその緒を埋めたという伝承がある。 

田中王塚古墳群(彦主人王御陵) 鴨稲荷山古墳
鴨稲荷山古墳の石棺 胞衣塚(えなづか)