『梨の花』(中野重治、筑摩書房)
・・・・・正月は、朝から晩まで吹雪いてるのだ。それが正月だ。吹雪いていなくても、野も、山も、道も、学校の運動場も、雪でいっぱいになっている。雪の深い年には、軒まで雪がきている。雪がそれほどでなくて、ちらりと陽がさしてでもくれは、良平らは「ごんぽこぎ」に行く。ごんぼ畑へ行って、ごんばを抜くまねなのだろう。なんで「ごんぽこぎ」というのか誰も知ってはいない。
「ごんぽこぎに行こうさあ……」
「ごんぽこぎかあ……」
しりごみするものがあってもかまわない。しりごみしたものも、結局は尻からげする。股引きを股のつけ根まで捲きあげる。そしてはだしになって、どこかそのへんの畑へとびだして行く。雪のうわ面ががちがちになっているときは、皮膚が切れるように痛むが、傷がついて血が出ることは絶対にない。つめたいから、みんな一散に走る。そしてひとまわりして一散に帰ってくる。それだけだ。それで楽しい。足くびから股まで赤くなっている。濡れたのを手ぬぐいでふいて、そこで何となくお互いに顔見あわせてにやりとする。
ある日、それがいつのことだったか良平にも覚えがないが、とにかくまだ学校へはいらぬ前だった。日のあたる外から良平が帰ってきた。三日ばかり珍しく天気つづきで、屋根の雪がゆるんでいる。してみると、三月にもなっていただろうか。軒したは、夏なら雨垂れのおちる雨垂れ落ちのところへ、屋根から落ちた「ずり」雪が堤防をついたようになっている。玄関正面のところだけそれが切りさいてある。そこから良平が玄関へはいろうとした。軒端まできていた屋根の雪に良平は気づかなかった。
良平がそこをはいるときそれが落ちた。
良平は 「あっ……」といったと自分で思った?ほんとはわからない。「あっ・‥…」といって、半分それが雪のなかからだったような気もする。それは今思い出してそんな気がするが、そのときどうだったかはわからない。
掘り出されたとき、掘りだしたおばばは、おじさんといっしょに、三人でげたげた大笑いしたのを覚えている。なんであんなに大笑いしたのか、それもわからない。「うっ……」と息がつまって、じき掘りだされたのだったろう。「ずり」 に埋まったとき、雪のなかが明るかったように思うが、これもわからない。なにせ、正月は雪のなかだ。雪の底だ。
吹雪くとなればそれ以上だ。この冬、ある朝、良平が寝坊をして、学校をおくれた。お寺の御拝まで行ったが、もう誰もいない。
「もうじき、二年生じゃぞ。」
こう思って良平は歩きだした。学校ぐらい、ひとりで行ける。良平は林の石垣の出はずれのとこまで行った。往還みちがずっと続いている。そのずっと向うに、「松の木ざんまい」の松の木が見える。それからもうすこし向うに、学校の建ちもんが見える。村の子供たちが、隊を組んで應んで行った深靴(わらぐつ)の跡がある。この深靴の跡をふんで行けばあの学校の建ちもんへ行くはずだ。
良平が二十間ばかし行って、村はずれの橋を渡ろうとしたときに「ふうううっ……」と吹雪がきた。風と雪がきた。
・・・・・
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