葛城一言主神社    葛木神社      地図案内
 
 
 
葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)  神木のイチョウは樹齢1200年、幹囲3.85mとされるが幹囲の測定は地上130cm付近の幹の太さを測るので上部はもっと太い。乳(にゅう、気根)が発達しているので母乳が良く出て子供がすこやかに育つ事を願う親の信仰を集めている。
 第21代・雄略天皇が葛城山で狩りをされた時に葛城一言主神に出会うと「ただ一言だけのたまえば叶う」と天皇に語りかけたという。かつては葛城氏と天皇家が対等な地位にあった事がうかがえる伝承である。祭神は一言主大神と幼武尊(わかたけるのみこと、第21代・雄略天皇、〜479?、5世紀後半に在位)。尚、
一言主神は事代主神(ことしろぬしのかみ、大国主神の子)と同一だと考える論者もいる。近世、一言主大神は「いちごんさん」と呼ばれて一言の願いであれば何事も叶えて下さる神様として親しまれている。

 歴史的には金剛山(1125m)と(大和)葛城山(959m)を含めて葛城山と呼ばれ、この広大な山域を本拠地としていた葛城氏は天皇家に匹敵する力を持っていた。葛城氏の祖とされる葛城襲津彦(かずらきの そつひこ、4世紀末から5世紀前半?)は、その娘・磐之媛(いわのひめ)が第16代・仁徳天皇(在位は5世紀前半)の皇后となって第17代・履中天皇、第18代・反正天皇(はんぜいてんのう、はんせいてんのう)、第19代・允恭天皇(いんぎょうてんのう)の母となったので、襲津彦は3人の天皇の外祖父(天皇のおじいさん)という強い立場にあった。葛城襲津彦は伝承的な人物であるがそのモデルになった人は実在しただろう。また、後の世で光明皇后が皇后となった時に皇族出身でない磐之姫が臣下出身の先例と指摘された。金剛山頂には葛城氏の祖神である一言主大神を祀る葛木神社が鎮座する。
 
 
   
イチョウの巨木近くにある樹齢650年の無患子(むくろじ) 
   
葛城一言主神社   奈良県御所市森脇432  葛木神社 (金剛山頂)   奈良県御所市高天476 
 
   
 金剛山(1125m、日本二百名山)の巨木   樹齢数百年の夫婦杉と樹齢500年の仁王杉