高野山真言宗 高野山  金剛峯寺       次のペ−ジへ   TOPへ戻る
   
 高野山は816年(弘仁7年)弘法太子(空海)が真言密教の根本道場を開いた聖地である。空海は人々が安らかな生活をおくることができる平和な国が栄え、更に空海自らの入定の地となるように願って高野山に真言密教の根本道場を開創した。高野山は高野三山と言われる摩尼山(まにさん、1004m)、楊柳山(ようりゅうさん、1009m)、天軸山(てんじくさん、930m)に囲まれた海抜800m余に広がる一大宗教都市で33万坪の盆地に奥の院、金剛峯寺、根本大塔など117の寺院が建立されている。その内52の寺院は宿坊となっている。高野山は源平の合戦や戦国時代の争乱、幾たびに及ぶ大火など存亡の危機を乗り越えて、全国と海外合わせて4000の末寺を司り1000万人の太子信仰を支えている。
 高野山金剛峯寺は1874年(明治2年)までは青巖寺と呼ばれていた。青巖寺は1593年(文禄2年)豊臣秀吉が生母・北の政所の菩提を弔うために建立され、その後1863年(文久3年)再建されたのが現在の建物である。
   
  新別殿  
 
   
 別殿(べつでん)の襖絵には四季折々の風景が色鮮やかに描かれて、更に白と黒の犬が空海を高野山へと道案内する姿などから高野山開創の様子を伺うことが出来る。
   
蟠龍庭(ばんりゅうてい)
   
 高野山麓の丹生官省符神社 (にうかんしょうぶじんじゃ、和歌山県伊都郡九度山町)は816年空海の創建。 
 宇智(今の五條市内)で出会った猟師の姿をした狩場明神が2頭の犬に高野山を目指す空海の道案内をさせたという。