南山城の石仏群  鎌倉時代からの石仏 次のペ−ジへ     TOPへ戻る   
 京都府南部に位置する木津川市当尾付近は古代に都が置かれた奈良や京都から10〜30km程に位置している。当尾は南都仏教の影響を受けやすく、奈良の僧侶が修行に打ち込む地に選ばれ、草庵が寺院に発展すると尾根に寺院の塔が並び建つようになり、そこから当尾という名が生まれたという。 
わらい仏 (正式名は岩船阿弥陀三尊磨崖仏)はこの地域で最も知られている石仏の一つ。すでに悟りの世界にある中央の阿弥陀如来がまだ修行中である左の勢至菩薩と右の観音菩薩を従えて柔和な微笑をたたえ浄土へ来迎している。
 左端に永仁七年(1299年)伊 末行(いのすえゆき)の銘が残る。伊末行は鎌倉時代初頭に来日して平重衡による南都焼き討ち(1181年)で大きな被害を受けた東大寺の復興にあたった石工集団「伊派」(創始者は伊行末(いのゆきすえ、いぎょうまつ?))の一人で、伊派は大野寺弥勒磨崖仏(宇陀市)など各地に優れた作品を残している。わらい仏は700年以上に渡って道行く人々に優しく微笑み続けてきた。 地図案内
 
 
 
 
 左端に、永仁七年二月十五日 願主 岩船寺住僧□□ 大工 末行 の銘が見られる。
 
 わらい仏の左に ねむり仏 が顔を出している。ねむり仏の半分が埋もれていたりわらい仏が傾いているのは長年の地盤変化に起因すると推定され。
 
 
ミロクの辻線刻磨崖仏  街道が交差する山際の自然石に笠置寺の弥勒磨崖仏を忠実に模写して彫られている。1274年(文永11年)伊末行 作。1274年は元寇の年であり元軍の退散を祈って造られた可能性もあるという。 地図案内
 
 
 
やぶの中三尊(薮中三尊磨崖仏)      地図案内