南山城の石仏群  鎌倉時代からの石仏 前のペ−ジへ 次のペ−ジへ  TOPへ戻る   
 千日墓地では幾つもの古い石仏に出合うことが出来る。入り口の十三重層塔(重要文化財、高さ390cm)は1295年(永仁6年)の年号が残るので千日墓地は少なくとも700年以上の歴史を持つことがうかがえる。十三重層塔は「わらい仏」の作者である伊末行(いのすえゆき)作とも言われるが定かではない。鎌倉時代は個々人の墓を建てる風習はなかったので埋葬された幾千人もの村人の墓標だったと考えられる。入り口に墓地としては珍しい明治二十一年(1888年)建立の鳥居もある。

 地図案内(地図中央の緑に表示される区域)   参考文献『南山城 石仏の里を歩く』(石田正道、ナカニシヤ出版)
 
 
 阿弥陀・地蔵双体石龕仏(室町時代)  石を彫って造られたこの石龕仏(せきがんぶつ)は高さ165cmもあり、蓮華座の上で阿弥陀如来と宝珠と錫杖を手にした地蔵菩薩が来迎している。建立時には石扉が設置されていたとされる。 晴天下の千日墓地に彼岸花(曼珠沙華)が彩りを添え、十三重層塔と双仏石は長年の風雨や地震に耐え墓域を見守ってきた。
 
墓地の南側法面に集められた墓石から古い年号が読み取れる。
中央に南無阿弥陀仏の六字名号板碑(ろくじみょうごう いたび)を配置し、左右に六体地蔵と中央背後に阿弥陀如来立像。
 
南無阿弥陀仏の六字名号板碑 は永禄六年(1563年)十一月二十八日の記銘が見える。高さ85.5cm。
 
舟形後背を負った阿弥陀如来仏には天正八年(1580年)十月十五日の記銘が見られる。  高さ93cm。
 左の五輪塔の地輪に明應(1492〜1501)、右には文亀二年(1502年)九月二日の記銘。五輪塔(五輪卒塔婆)は平安後期以降に造られるようになった。万物は地水火風空の五大で構成されるとする。
   
 十三仏板碑 下が折れている。  
   
   
 
受取地蔵は蓮華座上で舟形後背を背負っている。天文十七年(1548年)の銘が残る。