高円山  奈良市     地図案内   TOPへ戻る
 
 奈良大文字送り火は世界大戦など幾多の国難に殉じた奈良県出身者29243柱の英霊供養のために1960年(昭和35年)8月15日に創始され実施されて来た。大は宇宙を意味し、人体に潜む75の煩悩の焼却と諸霊を供養する心を表しているという。
 高円山(たかまどやま、461m)からは奈良から京都までの大展望が眼下に広がり、奈良の若草山(342m)や京都の愛宕山(924m)、京都タワ−(131m)まで遠望できる。 

 一方、京都五山送り火の歴史は定かではないが葵祭、祇園祭、時代祭と並ぶ京都を代表する行事である。 送り火の起源は諸説あり、弘法大師が創始した説、室町幕府第8代将軍・義政が第9代将軍で長男・義尚(よしひさ、1465〜1489、母は日野富子)が若くして病没したのを悼んで1489年の初盆に始めたという説などがある。
日野富子(1440〜1496)は優柔不断な義政に不満を持って政治に関与し、応仁の乱の原因を作ったり高利貸しや京の入り口7カ所に関所を作って蓄財をした、など負の側面が指摘されるが送り火には富子も出資したという。
 
   
奈良大文字送り火の火床は高円山の樹林帯にあり とてもきれいに整備されている。
 
 
   
奈良県庁からの高円山 市街地からの高円山の火床  
   
慰霊奈良大文字送り火由来 の碑  火床の近くに二等三角点(432m)があるが高円山頂(461m)はもっと奥に位置する。 
   
   
中央に あべのハルカス(大阪市阿倍野区、300m) 手前は若草山、 遙か向こうにうっすらと愛宕山と右端に京都タワ−
 
飛火野  中央に平城宮跡 
   
浮見堂  1916年創建、1994年再建された。右に高円山。 
   
 さびた宝暦銘(1751〜1763年)の石碑は、この付近が幾百年来の墓地であった事を物語る。